毎日がひとりオフ

当たり障りのない日常

公園

今回の事件で、自分でもびっくりするくらいショックを受けているんですけれど、その原因について、ついったで友人からヒントのようなものをいただけました。それは、今回の事件が、自分が日常的に使っている公園や通勤通学路で、一方的にだけど見知った人が事件にあい、その場所に献花がされ、それが常に目につくような状態になっている、というもの。

昨日書いた通り、自分はHagex氏と面識が全くないですし、氏が自分のことを知っていたとしても、「そういえばはてブでアイコン見たことある」程度だったかと思います。自分にとって、あくまで一方的に公園で見かける名物おじさん(といってもそう年齢が離れていないことが今回の報道で判明してしまいましたが)が、Hagex氏でした。
一方的に見かけたときに、「あの人いつもおもしろいな」だったり、「あの人ああいうことはやめたほうがいいな」だったり、良いも悪いも感じる存在でした。
ある日、その人が事件に巻き込まれ帰らぬ人となってしまう。その人がいつも座っていたベンチには献花がされ、皆が哀悼だったり、一部は感じていた反感だったりを表明することで、その公園を使う誰しもが「事件」のことに想いを馳せる。
いつか時間が経てば、献花をする人も減ってきて、公園にはいつもの日常が戻ってきたように見える。でも、ふとベンチに目を落とせば、在りし日の故人の姿や、起きてしまった事件が、脳裏にフラッシュバックしてしまう。

今回の件、直接事件に感じることは、実はあまりなくて……と書くと語弊があるけれど、知識のない自分にとって、犯人が社会的にどう追い詰められていたかや、氏のどこが問題だったかとか、何がまずかったかとかいうのは、むしろいろんなブログやコメントを拝見して成る程そういう見方があるのか、とか色々教えられる一方で。
まあ、そういう情報を見聞きするたびに、ますます暗澹たる気持ちになっていく一方なのだけど。

ただ、この「はてなブログ」だったり「はてなブックマーク」だったりという、はてなのサービスにおいて、そういう事件が起きてしまったこと自体が、自分にはとにかくショックで、動揺がおさまらないのです。自分にとって空気を吸うように利用していたものが殺人者を産み、一人の人間を死に追いやってしまった。
もしかすると場所が悪いのか、とか、自分もそういう場所になることに加担していたのでは、とか、今回の一件で本当に色々考えざるを得ない状況になってしまいました。

自分もはてブで攻撃的なことを書いてしまったりするので、少なくとも、もう今まで通り使得そうにないし、こういうことの起こる空気を作ることは少しでもやめないといけないという気持ちになってしまっている。まあもともと事件に関係なく攻撃的な物言いはやめるべきだったんだけど、とにかく今回の事件は鏡を見ているような気持ちにさせられてしまって、明日の自分が被害者になるのか、加害者になるのか、そんな風に考えてしまう。起きてしまったことは、本当に取り返しがつかないんだな、と、当事者のいないところで勝手に後悔ばかりしてしまっています。

きっと何日かすれば、はてブのHotentryからHagexの文字が消えて、いつも通りの感じが戻ってくるんでしょう。それでも、時々どうしても、この場所を発端とした辛い事件があったことを思い出してしまうんだろうな、と。少なくとも、氏の記事や行動の是非は別にして、Hotentryに新着ブログ記事が上がってくることは二度とないんだな、と思うと、やはり何かが変わってしまったんだな、と思わざるを得ないのです。

そんで、今日はどうしてもこの件のことを調べたり考えたりしてしまうので、なるべくついったには書かないようにしてたんですけれど、何と無くこれはこれで、自分から無理に「取り返しのつかないこと」に仕立てあげようとしてるなっていう風にも考えてしまいまして。
でもついったに断片的に書いていると、思考もまとまらないし、余計にこのモヤモヤした気持ちを引きずってしまいそうで。
だったら逆に吐き出したいこと吐き出すためにブログに書いてしまおう、って思って、いまキーボードを叩いています。別に「暴力に屈してはいけない」なんて思ってない。ただ、なんとか日常を取り戻す方法はないかと考えた時、なぜだろう、不思議と「書かなきゃ」という気持ちになってる。むしろ普段ブログ書くのをサボってばかりなのにね。今は堰を切ったようにひたすらキーボードを叩いています。
故人を悼みたい気持ちはあるけれど、それとは全く別にして、とにかく今は書いて吐き出すことで、日常を取り戻そう、そういう気持ちになっています。

今夜もまとまりませんでしたが、何か書かないと落ち着かないので、そのまま公開してしまおうと思います。