こんにちは、@noboruです。読書が遅いです。
みなさんは「ブックカバー」、使ってますか?
文庫本とかにかぶせて使うアレ。
本屋で本買ったら店員さんがかぶせてくれるけど端っこをほんの背中に入れこんでくれないと少しイラっとくるアレ。
ハンドメイド雑貨屋に行くと、布製だったり革製だったりで売ってるアレ。
自分も、文庫本を外に持ち出すときに使ったりしてます。 カバンのなかがかなりゴチャゴチャしているので、無造作に突っ込んでいるボールペンでほんの表紙を汚したりとかしちゃうんです。 別に、本なんて、一度読んだらもうなくなろうが、多少汚れようが構わないのです。 最近はむしろ、さっさと読んで処分したいくらいの断捨離マインドがふつふつ湧いております。 祖末にしたいわけではありませんが、結構ザツな扱いで読んでます。 なんやかんやで、読まれるために生まれてきたものが本であります。
そもそも、本をブックオフに売っても、二束三文にもなりませんので、古本屋に持ち込む労力より、読まない本は廃品回収なりゴミバコなりに突っ込むなり誰かに譲るなりしたほうが全然エコっていうことに気づきまして。
ともかく、「本がぼろぼろになって読みづらくなるのを防ぐため」に、ブックカバーをつけてます。
が、どうも世間様は、それとは別の理由でブックカバーをつけてらっしゃることが多いみたいなんですね。
よくいろんなところで見かけるブックカバー使用の動機が、「どんな本を読んでいるのか人に見られたくないから」というもの。
この、自分が読んでいる本を他の人に知られたくない、っていうの、いったいなんなんでしょうかしら。
別に自分がどんな本読んでいても、内容さえ問題なければ、別に気にすることぁないと思うんですよ。
もしその本が「夜に濡れた団地妻・滴る禁断の果実」なんていう、表紙からアレな登場人物がアレなことをするアレな本だったら、常識に照らし合わせてやめておいたほうがいいと思うんですよ。そもそもそういう本を外で読むくらい欲求不満の方は、読書してる場合じゃなくて五反田にでもとっとと足を運びやがってください。
でも、例えば、村上春樹の本を読んでいる人が、わざわざブックカバーで表紙隠す必要ないと思うんですよ。 文学として認められてるし、村上春樹レベルじゃなくても、普通の新潮文庫とか読んでる人が、カバーなしで本を読んでいても、「わっ、あの人ドストエフスキーなんか読んでる……」なんて目で見られないでしょうよ。見られたところでその人に今後の人生干渉されるのかってーとそんなこともないでしょうよ。
とはいえ、村上春樹もアレったらアレですけど、こっちは文学的なアレですからね。たとえアレでも許されるほうのアレでしょう。
ごめん俺村上春樹読んだことねえんだわ。インテリエロとかそのくらいの前知識しかない。 母親にもらった「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」っていう本がまだ積読なんですけどこれもエロいんですか?エロいの?エロ万歳。
エロの話がしたいんじゃなかった。
「能ある鷹は爪を隠す」とか、「出る杭は打たれる」とか、昔から、日本には自己主張を控えることが美徳であるとする風潮があります。
確かに自分も、電車の中で読書をしている人が、いったい何を読んでいるのか、時々気になることがあります。 そこを敢えて素知らぬ振りをするのも、これまた美徳とされるのでしょうか。
でも、自分が好きな本、面白いと思った本、読みたいと思った本なら、むしろタイトルを人に見せてもいいんじゃないかなぁ、って思うのです。さっきも書いたけど、人に読んでることを見られたくないような本なら、そもそも電車の中で読まなきゃいい。ぼくなんて、初音ミクが表紙の本を臆面なく読んでますよ。いや、これは自重すべきか。 ともあれ、人が読んでいる本ほど、面白そうだったり、読みたくなったりするものなのですよ。
面白いと思った本なら、同じ本に興味を持ってくれる人が増えるってのも、なんかうれしくないですか?
つまんない本だったら、そんときはまあ、ほら、他の人も道連れにするってことで……。
あなたが読んでいるその本は、見られても多分恥ずかしくないよ!多分……っていうお話でした。
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