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毎日がひとりオフ

ネットの話題とITと音楽。

おかんとのおもひで

今週のお題「私のお母さん」

もう、次の日曜日は母の日ですね。

実家には帰ったりしませんが、とりあえずAmazonでプレゼントを買って、母に送りつけました。 今日のお昼ごろ、届いたというお礼メールが届きました。

ずっと誕生日や母の日・父の日といったイベントはスルーしてきたのですが、数年前に祖母が他界してからは、なるべく母の日・父の日のプレゼントをするようにしております。

祖母がこの世を去ったとき、孝行してこなかったという、後悔と自責の念にしばらく苛まれていた時期がありました。 行動を起こさねば後悔する。それを祖母に教わってから、ひとまず母の日・父の日くらいは親孝行しよう、と思った次第です。

直接会うのは苦手なので、いつもプレゼントを送るだけで済ませちゃっておりますが……。

おかんにまつわるエトセトラ

わたくし、母親に関するエピソードは結構持ち合わせております。ギャグっぽいタイプの。 母に関するエピソードで感動するものは皆無ですが、「それはギャグなのかマジなのか」というぼく的に笑えないけどネタにしかならないエピソードなら抱負に持ち合わせております。

はてなブログの「今週のお題」が「私のお母さん」なので、この機会にマイマザーのエピソードをいくつか披露したいなと思います。

御年66、気がつきゃ還暦もとうの昔に超えて、いまやアラセブとなってしまったマイマザーのエピソード、ご笑覧ください。


チョコレート事件

その日、ぼくはまだ眠っていました。 休日だったこともあり、特に起きる必要もないな、という感じで、グースカ過ごしておったのです。 眠るのが何より大好きなぼく。そのまま一日でも寝ておきたいくらいの気持ちでした。

が。

眠っているぼくの口に、何か固形物がねじ込まれました。

なんか固い。なんか甘い。

寝ていたので、頭は回転しておらず、その自体を飲み込めません。

なんだこれ。なんだこれ。大事なことなので二度言いました。

ぼんやり頭に「なんだこれ」が浮かんで、その疑問を処理する間もなく、さらに固形物が口の中にねじ込まれていきます。

甘い。チョコレートです。

さすがに頭も働いてくる。糖分は脳の栄養です、ってやかましい。

「ふぐああぁぁっ!?」

身を起こすと同時に布団を蹴飛ばし、目を開けると、真顔でぼくを見つめている母が枕元に立っておりました。

「なんやねん!」

ぼくの怒号が部屋に響きますが、母はいたって当たり前といった表情をしております。

「チョコレートやで」

「わかってるわ!そんなん聞きたいんちゃうわ!なんで寝てるのに口にいれてくんねん!」

「あんた好きやろ?」

「ちゃうやん!起こせや!」

「いや、寝てたから」

もはや訳がわかりませんでした。母の理屈は「チョコレート好きのぼくにチョコレートを食わせてやりたいが、寝てるのを起こすのも悪いので、とりあえずそのまま口に入れた」ということらしいのですが。

寝てたら味わかんねえよ。好き嫌い関係なくなっちまうじゃねえかよ。


高級レストラン事件

かなり昔の話。

その当時つきあっていた女の子に、母親がやたら会いたがっていたことがありました。

ぼくがなかなか会わせようとしないので、母が業を煮やし、会わせろ、セッティングしてやる、と言い出したことがあったのです。 ぼくが会わせないことに対し、明らかに不服そうな表情を浮かべて、ぼくに詰め寄ってきたのでした。

「あんた、彼女はよ連れてきなさい」

またはじまった、とばかりに、ぼくも面倒くさそうな表情を返して黙りこくります。

「なんで会わせてくれへんの。向こうの家には挨拶にいったん?あんたちゃんとしなあかんで」

「……うるせーなぁ」

「あんたほんまに連れてきって。美味しいもの食べさせてあげるから」

「いらんって」

ロイヤルホスト連れてってあげるから、あそこおいしいで」

ファミレスです!まさかのファミレスであります!

確かに、子どもの頃は、家族でファミレスなんて、一大イベントでありました。 確かに、ロイホはほかのファミレスより美味であります。 確かに、ロイホのステーキを食べることは、貧乏な我が家にとって、かなりの贅沢であります。

しかし、彼女との会食場所に、まさかのファミレス指定であります。 ゆっくり会食なんて出来やしねーよバーロウ。

結局会食は実現しませんでしたが、もしロイホに行っていたら、どんな自体が待ち受けていたのか、今となっては興味本位で見てみたいきがしないでもないです。


合鍵事件

ぼくは実家に合鍵を預けております。 実家が電車一本で行けるところにあるので、万一の紛失に備えて、合鍵を預けているのであります。 保険みたいなものですね。

ある日、母とぼくの最寄り駅で食事をしようという話になりました。 駅からもさほど離れていないぼくの部屋。

待ち合わせなどについて、母が「場所をちゃんと覚えておきたいから、うちに来る」と言うのです。

あまり親を自室に上げたくはなかったのですが、来るというものは仕方なし。

当日は、母が来るまで部屋でゴロゴロしながらまっておりました。

テレビを見ながらぼんやりすごしていたお昼前くらいでしょうか。

ピンポン、と呼び鈴がなりました。

来たな、と思い、玄関に立とうとしたその瞬間です。

ガチャガチャ、ガチャガチャ、ガチャッ……。

……開いた。

鍵かけてたドアが開いた。開けやがった。

ガチャ、の瞬間猛ダッシュです。走るほど広い部屋じゃないけど、ぼくの心はウサイン・ボルトのように玄関へ気持ちをはやらせておりました。

既にドアは半開き。そこにはボーッとした表情の母が立っておりました。

「なんで合鍵使うねん!ていうかなんで開けるねん!」

ぼんやりした表情のまま、母が答えました。

「いや、使えへんかったらあかんやろ?ちゃんと確認しとこうと思って」

百歩譲って鍵の確認はいいとして、なぜそれを俺に確認してくれなかったんだいカーチャン……。


肉親はいたわりましょう

こんな変人の母親でありますが、親は親。 苦手な気持ちこそあれど、敬意をもって接しないと、とは常日頃から考えております。 子どものころ、両親は絶対的存在でした。 親がすることは正しい、親が言ってるとおりにしなくてはいけない、と。 この歳になって、親が全て正しいわけじゃない、自分の中に基準を持つことが大事、と気づきました。 しかし、三つ子の魂百まで。 両親が作り上げた実家でのローカルルールは、いまでも自分のローカルルールとして一部残っております。 親の背中を見て子は育つ、とはよく言ったものです。

冒頭に書きましたが、祖母が亡くなったとき、ぼくは数週間ほど、絶望に近い後悔と向き合うことになりました。何もしてこなかった後悔。何もしようとしてこなかった後悔。 肉親が亡くなるということは、自分と世界の関わりが一つ消えてしまうということであります。

死後の世界があるのかわかりません。霊が生者を見守っているのか証明するすべはありません。 でも、生きているぼくら側は違う。

孝行とは、相手のためであると同時に、自分のためでもあるのだなぁ、とそれ以来思うようになりました。

ちなみに今回の母の日プレゼントは、以下の本にしました。先日実家で出されたコーヒーが水みたいに薄く、吐き出しそうになってしまったので。 次に実家行った時は、美味しいコーヒーが飲めるようになっているのでしょうかしら。

はじめてのコーヒー

はじめてのコーヒー

うまいコーヒー飲んで長生きしておくれよ、母上様よ。