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毎日がひとりオフ

ネットの話題とITと音楽。

コギト・エルゴ・スム的な話

唐突ですが、物理学においては「観測」によって初めて状態が決定される、ということがあるそうです。
量子AがXのとき量子BはYになるため、量子Aを観測した時点で状態がXZなら、量子Bは必然的にYZになる、みたいなことだそうです。
量子の状態は不確定で、観測されるまでは状態を「予測」しかできないそうです。
で、観測した瞬間、状態が収束する、という。

正直書いててもよくわかりませんが、そんな説明がこの本に書いてたんです。

ねこ耳少女の量子論~萌える最新物理学~

ねこ耳少女の量子論~萌える最新物理学~

なんでこんな本買ったのかというと、ファミマで目についたからです。
当時萌え学術本が流行ってた時期でございました。

しかし、この観測っていうのが奥深いというか、物理学じゃなく、世界の摂理とも言える気がしなくもない。
例えば、今ぼくはMacをぱちぱち叩いて、このブログを書いております。
この部屋には、ぼく以外だれもいない。
はたして、今この瞬間、部屋の外には、ぼくの見知った世界が本当に存在しているのか。
今聴いている音楽は、本当に椎名林檎が歌っているのか。
いまぼくの後ろで風を送りつけているのは、本当にさっきスイッチを入れた扇風機なのか。
99.9999999パーセント、存在しているはずではありますが、0.0000001パーセントの「この時点で存在しない」という可能性も否定できない。
世界という事象の存在は、この瞬間の感覚でしか確認しえないといえます。

今この瞬間でこそあやふやなのだから、過去や未来の出来事なんて、もっとあやふやなわけで。
織田信長は本当に本能寺で没したのか。
時間の距離が遠くなればなるほど証明は難しくなって、イエス・キリストは本当に磔刑にされたのか、いやそもそもキリストは実在の人物なのか。
史実はあれど、それを観測することはできないのです。

いや、もっと言ってしまえば、自分の存在すらあやうい。
1時間前の自分は本当に存在していたのか。
1時間語の自分は本当に生きているのか。
「我思う、故に我あり」でしか自分の存在を証明できないので、自分以外の他の存在を常に観測なんてしようがありません。

自分の立っている場所も、実にあやふやなもんであるなぁ。
そんなことを考えつつ、同じ毎日を過ごすのです。