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毎日がひとりオフ

ネットの話題とITと音楽。

祖母の他界に関する手記

 少し間があいたけれど、祖母の他界についてまとめた手記を掲載します。
 葬儀の直後、mixi日記用に書いたものですが、少しだけ手を加えて、ほぼそのまま転載します。
 今はずいぶん気持ちも落ち着きましたが、思い出すとこみ上げてくるものがありますね。
 この文章を読み返して、また祖母のことを思い出し、少し泣きました。


手記

 2008年7月5日 17時25分、祖母が長い人生の幕を閉じた。87歳だった。
 社会人になってから出席する初めての葬儀が、まさか親族のものとは夢にも思わず。
 ずいぶん長い間、祖母本人や母親から祖母がかなり弱っていることを聞かされていたが、まさか死にいたるような状況だったとは思ってもみなかった。
 まだまだ大丈夫だと思い込んでいた自分の、完全な誤算だ。情けない。悔いても悔いても悔やみきれない。悔いたところで祖母の言葉はもう二度と聞けないし、さっぱりした性格の祖母がウジウジと泣かれることを嫌うのもわかっている。
 それでも少し気が緩むと、祖母の最期の日のことや、幼いころの祖母との思い出、祖母との果たせなかった約束などが頭をよぎる。祖母が無くなってからの数日間、これほど泣かないことが難しいと感じたことはなかった。
 葬儀の前夜、泣かずに見送ることを誓ったはずだったのに、棺を閉じる瞬間にはもう二度と見られなくなる祖母の顔を見て、涙がこぼれそうになった。
 正直、今でもだめだ。この文章を書いている最中に泣きたくなる。肉親の死の重さをはじめて知った三日間だった。


 自分勝手なもので、祖母に永久に会えなくなるとわかった途端、後悔の念が次から次へと沸いてくる。
 一年か二年前だったが、生前の元気な祖母が実家に泊まりに来て、いつものようにお説教を食らったのを覚えている。
 生活のこと、仕事のこと、仲の悪い兄貴のこと、恋人のこと、等々。
 そのときの会話で祖母が「ばあちゃんももう二度とここにこられないから」などと弱々しくもらしていた。
 そのとき僕は、ドキリとした不安を覚えつつも「冗談じゃない、生きてるうちに孫の顔見せるから長生きしろ」なんて軽々しく約束してしまった。
 結局孫どころか結婚すらしていないこの体たらく。
 我ながらとんだ大ぼら吹きなことか。
 今回ほど、自分の楽天的で能天気な性格を呪ったことはない。
 祖母との約束を果たせず、祖母に再会することがなかったことは、自分が今まで生きてきた中で最大の失態であり、間違いなく僕の人生の汚点だ。
 祖母に孝行できなかったことについて、ぼくはなんら弁明する余地を持ち合わせていない。非難されてしかるべき、だ。


 葬儀・火葬のあと、都合により初七日も行われた。
 あまり儀式的なことはわからなかったのだが、死後七日以内であれば、いつでもいいそうだ。
 祖母は特殊な宗教に属していたらしく、読経のようで少し違う何かが、その宗派の僧によって執り行われた。
 そういえば祖母からもらった最後の手紙で、初めてその宗教のことも知った。とにかく、家族に価値観を押し付けない人だった。
 お説教は口うるさかったけど、祖母が亡くなって初めて知った祖母のことが沢山出てきた。10 人家族だったこと、横浜生まれだったこと、曾祖母を何よりも大切にしていたこと……。
 僕が知らない祖母のことばかりだった。
 戦時中の写真も祖母のアルバムから出てきて、ただただ驚くばかりだった。
 27年近くもの間ぼくを見守ってくれた人のことを、僕は全然知らなかったのだ。
 初七日の儀式の後に、皆と食事を取ったのだが、間違いなく、自分の人生で最低の食事だった。
 食事自体はいい値段のする仕出し弁当で、味ももちろんおいしかったはずなのだが、ほとんど食べる気がしない。
 祖母の家で食事をしているのに、どこを見回しても祖母の姿がない。
 遺影の中の写真にしか、祖母の姿を見つけられない。
 つらすぎる。
 白ご飯だけでいい。自分の嫌いな豆ご飯でいい。祖母と一緒に、あと一度だけでいいから食事をしたかった。
 もっと説教をして欲しかった。あと一度だけ、ばあちゃんと話がしたかった。
 僕が知らないばあちゃんのことを、ばあちゃんの口から話してほしかった。
 この悔しさ・無念さは、書いても書いても書ききれない。
 それも全て自分の愚かさから出ているのだから、なんとも救い様がない。


 死の当日に医師から聞いた話なのだが、祖母は頑なに、人工透析などの延命治療を拒んだのだという。
 祖母の信念だったのかもしれないし、どうせ生きられないのなら、というあきらめの境地だったのかもしれない。
 理由はどうあれ、祖母が望んだ最期なのだ。
 その選択を否定することは、ぼくにはできない。
 ただ、祖母が決めたことは、残されたものにつらすぎるものだった。
 残念なことに、この世界は生者のものであり、死者となった祖母はもう存在しない。
 例えば、法律上でも遺骨は人ではなく「モノ」扱いされてしまう。
 死後、人間がどのようになってしまうのか、ぼくにはわからない。
 魂が天に昇るかもしれないし、あるいは虚無に帰すのかもしれない。
 生きているぼくらには、それは理解できないことなのだ。
 だから、生きているうちに誰かにできること、誰かにしてあげたいことがあって、タイミングを探しているとすれば、それは“今”しかない。「いつか」では、間違いなく手遅れになってしまう。


 もしこれを読んでいる方で、しばらく逢っていない家族や肉親、大切な人がいれば、電話でもいい。手紙でもいい。
 ぜひとも、何かコミュニケーションを取ってあげてほしい。
 そうしないと、自分のようにただただ後悔するだけの別れを迎えることになってしまうから。
 自分のように取り返しのつかない後悔を背負うことは、絶対に避けてほしい。